ロールキャンバスの製法とキャンバス布の構造のハナシ
今回は…かつて専門家用に作られていた、老舗キャンバスメーカーの手製のロールキャンバスの製法や、キャンバス布の構造についてのご紹介です。
この専門家用ロールキャンバスは、主にヨーロッパ (ベルギーやフランスなど) で織られた亜麻の生地を輸入し、日本の工場で『目止め加工』と『地塗り』を…職人による手作業で施したものでした。
工場では輸入された亜麻の生地を規定の長さである10mごとに裁断し、床上数十㎝の空中で…縦横ともピーンと張った状態にして作業します。
『ネップ取り』
最初にやるのは『ネップ取り』。ネップとは亜麻生地には頻繁に見られる現象で、糸節 (いとぶし) とも呼ばれます。これは、糸の撚 (よ) りが均一でなかったために生地の中に極端に太い糸の部分があったり、糸の絡み合った塊のような物が生地の中に存在してしまうこと。
刃物を使ってそれらを一つ一つ除去するのです。
すべて手作業ですよ。
部分的に糸を抜き取った場所は周りの糸を寄せて隙間を埋めたりします。
このあと、ピーンと張られたまま『目止め作業』に入ります。
『目止め作業』
ちなみに、何の加工もしていない “ナマ” の亜麻生地に油絵は描けません。
そのままでは絵具が布に染み込んでしまいますし、やはりいくら酸化に強い亜麻とはいえ…何の防御もなく油の酸化重合反応 (絵具が乾燥・固化する時の化学反応) にさらされたら、繊維は劣化してもろくなってしまいます。
ですから、未加工の布に油絵具で描いてはいけません。
キャンバス工場では、亜麻の生地を油の浸透から防御するため…また繊維の伸縮を最小限に抑えるために、布の表面を “糊” でがっちりコーティングします。
これが『目止め』です。
糊は…昔はうさぎニカワが使われていました。
でも、いつの間にか…うさぎニカワではなく、合成糊 (PVA=ポリビニルアルコール樹脂) を使うようになっていたみたいです。
というのも…うさぎニカワはとってもクサいんですが、ある時期からキャンバスの裏面からその特有のニオイがしなくなっていましたので…
(ニオイだけでなく…キャンバス裏に発生するカビの原因にもなるので、うさぎニカワは使われなくなったようです)
目止め加工が済んだら『地塗り』です。
『地塗り』
油絵具と同じ亜麻仁油 (リンシードオイル) で白の顔料を練った “地塗り塗料” を使って、キャンバスのオモテ面をコーティングするのです。
キャンバスの幅をカバー出来る長さの…スキージーのような器具で一気に10m、往復で地塗り塗料を塗っていきます。
もちろん、すべて手作業です。
白の顔料は、昔は堅牢さや乾きの早さを優先させて『鉛白 (塩基性炭酸鉛) 』の顔料を使っていたはずでしたが、これもいつの間にか…鉛白ではなく『チタン白 (酸化チタン) 』という顔料に替わったようです。
環境への配慮で鉛の使用を控えたのかもしれませんが、チタン白の方が工業用の顔料として大量に生産されているので、価格面ではるかにメリットが有ったのでしょう。
まぁとにかく…油絵具と同じ油で練った塗料で地塗りをするわけですから、その後の乾燥には相当な時間が必要になります。
作業場から数m高い乾燥スペースまで、ピーンと張ったままのキャンバスを吊ったまま移動させ、空中で乾燥させます。
しかも、完成までには…乾かしながら地塗り塗料を複数回塗るのが普通でした。
このように、手作業で作られる専門家用の油絵専用ロールキャンバスは、手間と時間とがめちゃめちゃかかるので…とてもとても高価でしたし、メーカーも何度も値上げを繰り返していました。
画家の先生方もどんどん値上りする手作りキャンバスに嫌気が差し、
と言うようになりました。
そんなこんなで…国産キャンバスのトップメーカー『F社』は、経営不振で2015年に廃業してしまいました。
(数年後に別なメーカーが商標を引き継ぎましたが、製造方法をすべて継承しているのかは不明…)
『油・アクリル兼用の地塗り』のご提案
今、学校教材として使われている “お手頃価格のロールキャンバス” や “機械生産の張りキャンに使用されるキャンバス布” は、このような手間ヒマかけたものではありません。
全然違う物です。
亜麻の生地もヨーロッパからの輸入ではなく、ほとんどが中国の工場で織られたものになっています。
輸入された中国製の亜麻生地は、国内の工場で目止めされます。
目止めはもちろん合成糊 (PVA) です。
地塗り材も、乾燥に相当な日数がかかるリンシード練りの塗料などではなく、水性で速乾性の塗料!
しかも手塗りではなく “機械塗り” なんです!
工期も驚異的に短縮!
いやぁ、ひと昔前からは想像もできないほどの進化ですよ。
この、お手頃価格のロールキャンバスや機械生産の張りキャンに使用されるキャンバス布は、主に “学校教材” として使う前提ですので『油絵専用の地塗り』ではなく『油・アクリル兼用の地塗り』になっています。
つまり、かつてF社が作っていた専門家用のロールキャンバス (油絵専用) とは表面の仕様がまったく異なるのです。
昔の油絵専用キャンバスの表面は、当然水を弾きます。つまり水性絵具の一種であるアクリルカラーやアクリルガッシュでは描けないのです。
まぁ仮に絵具が乗っかったとしても “食い付き” がないので、将来的には剥落する恐れがあります。ですので30数年前、アクリル系の絵具を使う人が油絵専用キャンバスを使う場合…キャンバス表面を紙ヤスリなどで下地調整しなければなりませんでした。
紙ヤスリでコスって地塗りの表面に細かい無数のキズをつけ、絵具が食い付くための凹凸を作ってやらなければならなかったのです。
(当時、アクリル絵具専用のキャンバスも一応存在していましたが、需要が少なかったのでそれほど出回ってはいませんでした)
現在の “油・アクリル兼用” のキャンバスは、前にも述べましたが水性の地塗りがなされています。
いわゆる『ジェッソによる地塗り』だと思ってもらって良いでしょう。
地塗り塗料の乾燥時に水分が蒸発して抜け出た細かい無数の穴が、アクリル絵具が食い付くための凹凸になるわけです。
アクリル絵具を使うのにはもってこいなのですが、油絵で使う時にはほんの少し注意が必要だと…3ダースは思います。
つまり、細かい穴が空いていて吸収性のある地塗り層が…油絵具や画用液の “油分” を吸収しちゃうんですよ。
それを計算に入れて、描き始めの段階から乾性油 (リンシードやポピー) の割合を “気持ち多め” にした画用液を使って欲しいですね。
『描き始めは揮発性油 (テレピンやペトロール) のみで絵具を溶き、徐々に油壺内の画用液に乾性油の割合を増やしていく』と、昔から教えられていると思います。
しかし、この理論は “油・アクリル兼用キャンバス” なんて存在しない時代のレシピです。
兼用キャンバスを使うなら最初から
『ネオペインティングオイル』のような…乾性油がバランス良く配合された調合画用液で描き始めると良いと思います。
って思う先生もいらっしゃるかもしれませんが、既製品の調合画用液の中身って…ほとんどが揮発性油なんですよ、実は…。
だから描き始めから使ってもらってまったく問題無しなんです。
乾性油が適度に配合されてますから艶引けも抑えられますし…。
信頼してどんどん使っていただきたいです。
兼用キャンバスに、揮発性油のみで描き始めるのは、もうやめにしましょう。
『純白ではなく淡いクリーム色』の訳
ちなみに、この油・アクリル兼用キャンバスの地塗り塗料の色は…純白ではなく淡いクリーム色になっています。
じゃあ、油絵専用のキャンバスはそんなにクリーム色だったのか?…と言うと、そうではないんですよ…。
けっこう、普通に白かったです。
少なくとも、『クリーム色』ではなかった…。
でも、巻いてあるロールキャンバスをペロリとめくると…確かに黄色っぽく見えたし、張ってあるキャンバスも…重ねてあるのを1枚だけ引っ張り出せば黄色っぽかった…。
リンシードは液体の色がけっこう黄色いので、リンシード練りの地塗りがなされたキャンバスは…どこかに保管してある状態だとほんのり黄色みを感じます。
でも、直射日光 (紫外線) にしばらく当たると…その黄色みは無くなるんですよ。
再び暗いところに放置すると、また黄色っぽくなる…。
この、“暗いところに置きっぱなしにされていた色” を再現した…ってことなんでしょうね。
あしからず。
昔ながらのリンシード練りの…油絵専用の本格キャンバスは、オモテのニオイをかぐとリンシードのニオイがしたものです。
今はリンシードのニオイも、うさぎニカワのクサいニオイもしないキャンバスばかりになりました…。
『アクリル絵具専用のキャンバス』
最後に…話は変わりますが、アクリル絵具専用のキャンバスってご存知ですか?
アクリル専用キャンバスのオモテの地塗りは “まっ白” です。
そして、キャンバスの裏面も “まっ白” な場合が多いです。
この白い布はだいたい、木綿+ポリエステル…つまり『綿ポリ』です。
【第23回終わり】