謎のケント紙、『BBケント』
BBケントっていう紙、ご存じですか?
もう何年も前に完全に廃盤になっちゃったんですが、一部の人には人気のある紙でした。
製造元はイギリス。
ケント州にあるメーカー製。
今でもネットで検索すると『ケント紙と水彩紙のメリットを兼ね備えたケント紙です』なんて、バカみたいな説明が読めたりします。
『製図用紙と水彩紙のメリットを兼ね備えた製図用紙です』って意味?
『製図用紙と水彩紙のメリットを兼ね備えたケント州産の紙です』って意味?
この紙の実態を知りもしないヒトが書いた文…ってことだけはわかりましたよ。
販売元のひとつである美術用紙最大手のM社も、『英国製最高級ケント紙です』って、昔のカタログの “製図用紙の欄” に書いてました。
う~む、これをどう解釈したらいいのかしら?
『英国製の最高級製図用紙です』ってこと?
それとも『英国製で最高級の “紙” です。この “紙” はケント州で作られました』ってこと?
読み手に何を伝えたいの?
BBケントは、画用紙です!
みなさん、3ダースはハッキリと言いますよ。
しっかり聞いててくださいね。
3ダースがBBケントの解説を書くとしたら、こう書きます。
『製図用紙発祥の地として知られるケント州のメーカーが作った、最高級 “画用紙” です。水彩用としてもイラストレーションにもオススメ。“ケント” の名が付いていますが、それはあくまでも製造したメーカーの所在地です。製図用にはあまり向きません』
そう。
つまりこれ、『画用紙』なんですよ。名前はBBケントですけど…。
値段が普通の画用紙の比じゃなく…メチャメチャ高かったので、販売元のM社も『最高級』って書いていますが、そのあとに続く “ケント紙” を『=製図用紙』だと読み手は誤解しますよね。
製図用紙ではないこの紙の場合の『ケント』って、産地のことなのに。
カタログの説明を書いたヒトも、この紙のことをよく理解出来てなかったんでしょう。
普通の “製図用ケント紙” と比べたら一目瞭然なんですよ。
BBケントの表面はちっとも平滑ではないし (細目と荒目の2種類が存在しました) 色もまっ白ではありません!
3ダースが薦める画用紙のような “アイボリー系のナチュラルな色” …とも違う!
もう少し “くすんでいる” …というか “暗い” …というか。
なにか、“緑色~黄緑色を感じるような、クリーム色” って感じでしたね。
ただ、消しゴムをかけても紙の表面は簡単には剥
けない…それなりの強さはあったみたいです。
イングランドのケント州で作られた紙を、漁るように輸入していた時代がありました。
中には製図用に適した硬くて丈夫でまっ白な紙もあれば、水彩やデッサンなどに向いた…超高級な画用紙を作るメーカーも、ケント州には有ったんです。
イギリス国内の名だたる製紙メーカーがケント州に工場を持っていたんですから…。
画用紙メーカーだってケント州に工場が有るんですよ!
製図用紙を求めて高級紙を買い漁った結果、画用紙まで買っちゃってた…ってことです。
ちなみに、このBBケントには『T&JH KENT』という透かし文字が入っていました。
KENTっていう文字が透かしにあるからといって、『この紙は製図用紙でございます』という意味になるわけじゃないんですが、商品名が『BBケント』ってなっちゃってると…ほぼすべてのヒトがこれを “製図用紙” って思っちゃう。
もう、これは思考停止状態ですね。
(BBケントの “BB” っていうのは昔の日本側の輸入代理店が勝手に付けた名前で、イギリス国内でその紙をBBケントとは呼びません。イギリス国内での名前は、あくまでも『T&JH paper』あるいは『T&JH KENT paper』です。いやホント、日本人って勝手に名前を付けますね
)
ちなみに、英文のサイトで T&JH KENT を検索すると『T&JHケント ドローイング用紙 160g/㎡ クリーム色の網目漉きの紙 表面は荒仕上げ』って書いてありました (翻訳にはあまり自信無いんですが…) 。
ラフフィニッシュ!
これは “製図用紙じゃない” って証明ですよ。
あと、昭和52 (1977) 年刊行の老舗画材問屋の古~いカタログには『 (現地では) 粉末コンテを用いる肖像画用紙としても使用されています』と書かれていました。
製図用紙としての説明は一言も無いのに…。
名乗ったもん勝ちのケント紙
日本軍が採用した海図用紙も、国産のくせにケント紙。
製図用紙にはあまり適さない画用紙も、透かしにKENTって書いてあるからケント紙。
こうして見ると、“ケント紙” というコトバには『製図用紙』と『ケント州産の紙』という2種類の意味があるわけですが、ほとんどのヒトは『ケント州産の紙をケント紙と呼ぶ』という事実を知らないですよね。
そうなると、BBケントをどうしても製図用紙のカテゴリーに入れて考えちゃうワケです。
美術用紙最大手のM社のヒトでさえ!…です。
ネット上でBBケントのことを記事にしてるヒトの8割以上は、この紙を製図用紙って信じて書いているように見えました。
バカな子たちねぇ。
あれは画用紙ですよ~!
メチャメチャ高かったけど。
値段的には “本格的な水彩紙” って言ってもいいくらいでしたよ。
でもね、BBケントは『画用紙』なの!
メチャメチャ高いけど『画用紙』だったの!
本国イギリスの人達にはちょっと申し訳ありませんが、学生専用の『画学紙』と呼んでしまってもいいくらいかもしれません。
まぁ、ネット上には…気付いてる人達もほんの少しだけいましたよ。
『高い割には製図に向かない』って。
そう。
製図には向きません!
この紙より製図に向く紙は、山ほどあります!
『高い製図用紙だが製図に向かなかった…』ってこのヒトは嘆いてらっしゃるんでしょうが、そもそもBBケントは製図用紙ではなく画用紙なわけですから、文を正しく書き直してみますと…『高い画用紙だが製図に向かなかった』って、至極当たり前なことを書いてるだけなんですよねぇ。
製図用紙だと勝手に信じ込んで高いお金を出して買った “別な用途の紙” を、製図に使っちゃったんですよ…このヒト。
ひどい店で買い物しちゃいましたね。
ちなみにウチの店では『BBケントは製図用のケント紙じゃないですよ~』と、必ずひと言付け加えて売っておりました。
(実際のところ、当店でBBケントを買われていたほとんどのお客様は…ボタニカルアートを描く人か本格的なイラストレーターさんくらいで、製図屋さんや版下屋さんはもちろん…製図用に使いたいっていう学生さんはいらっしゃいませんでした)
※ ボタニカルアートとは、透明水彩絵具を使って細密に描く植物画のこと
もう廃盤になっちゃった紙ですからどうでもいいことなんですが、10年前に…世の中の迷える子羊たちに言っておきたかった。
『 “ケント紙=製図用紙” っていう呪縛から解き放たれてみましょうよ!』って。
製図用紙ではありません!
もうみなさん、さすがにBBケントが製図用紙ではない…ということは充分ご理解いただけたでしょうが、なぜ3ダースはそれを『画用紙』と言い張れるのでしょうか?
値段的には上のランクの水彩紙レベルだったのに、自信満々に “画学紙扱い” しちゃっていますが、大丈夫なんでしょうか?
何か根拠が有るんでしょうか?
『画用紙だ』、『画学紙だ』って断定できる明確な根拠があります!!!
何故、BBケントを画用紙と言い切れるのか!
BBケントの “寸法” を見てみれば、一目瞭然なのです!!!
BBケントの大きさは…
765 × 1085㎜。
イギリス製ですが、日本向けに…日本の規格に合わせて作ってくれていました。
(イギリス国内向けには560 × 760㎜でした)
日本向けの寸法、なんか見覚えありますねぇ。
765 × 1085㎜って、これ… “B本判” じゃぁないですか!!!
B本判で作られる美術用紙といえば、『画用紙』なのです!
B本判は『画用紙だけ』なのです!
四六判ではなくB本判で作らせていた…ということは、輸入する側 (日本) が『画用紙として買っていた』…という意味。
念を押すようにもう一回叫んどきます。
『BBケントは製図用紙じゃなく、画用紙ですから!』
画用紙なんですけど、それをケント紙って名乗って売っちゃってたんですよ。全国の画材屋が!
で、全国の迷える子羊たちが、名前に騙されて…高い画用紙を製図用紙だと信じ込んで買わされてたんです。
自分が買ったケント紙が、製図に向かないなぁ…と気付きながらも、『最高級ケント紙です』っていう説明を無理矢理信じて、くすんだクリーム色の紙と格闘していたんです。
ほとんどの画材屋の店員は、BBケントが画用紙だってわかってませんでした。だってM社のカタログに『製図用紙』として載せられてましたからね。
かわいそうなのは、ネット上で見つけた『ケント紙と水彩紙のメリットを兼ね備えたケント紙』とか『英国製最高級ケント紙』を買いに来たお客さん。
ウチに来てくれれば、店主のいろんなウンチクバナシと『BBケントは製図用のケント紙じゃないですよ~』っていうひと言が聞けたのに…。
お薦めするケント紙 (製図用紙)
ウチがお薦めするケント紙 (製図用紙) のご紹介。
『オリオンバロンケント』
この紙のこだわりようはスゴいんです。
単に “バロンケント” という名の紙は広く流通しています (オリオンのライバルである美術用紙最大手のM社も扱ってます) が、オリオンが自社で扱うオリオンバロンケントは “特抄” 。
つまり、自社オリジナルレシピで特別に抄紙されているんです。
表面はきめ細かく高平滑。しかし、下品な光沢はなく…敢えて艶消し。
つまり、ペンで滑らかに描けるにも関わらず、鉛筆の乗りも最高に良いんです。
(光沢のあるケント紙だと、鉛筆の乗り自体は良くないです)
そして、保存性の高い『中性紙』に仕上げてあります。
シート (平判・一枚物) ではなくイラストレーションボード (ケントボード) の方が断然オススメ。
1.5㎜芯の『AWボード』がオリオンバロンケント両面貼りのボードです。
美術出版カタログには載ってませんが、普通に『AWボード』ってご注文くだされば大丈夫です。
同じオリオン製の廉価版ケントボードの “NWボード” より10円程度しか値段が違わないのに、はるかに高性能なのです。
AWよりも厚めのボードが必要ならば2.5㎜芯の『BWボード』をどうぞ。
シート (平判) ですと、オリオンバロンケント#200はけっこう高価なので、ワンランク (ツーランク?) 安い『オリオンアイボリーケント#200』を昔からオススメしております。
こちらはアイボリーという名前が付いていますが、高い白色度!
M社で扱ってるアイボリーケントと比べてみるとビックリ!
M社のアイボリーケントは…本当に “象牙色” なんですよ
ケント紙のクセに…。
しかし、オリオンアイボリーケントは本当に白い!
何か、白くなるものが使ってある…のかもしれませんねぇ~
BBケントが廃盤になった理由
ちなみに、BBケントが廃盤になった理由は…品質の著しい低下が原因だと思われます。不良品が多く、ものすごいクレームの数だったのでしょう。
どうやら紙にあらかじめ施されている “滲み止め” の効きが、極端に悪くなっていたようです。
水彩絵具を塗ると、絵具と水分が紙の奥へ奥へと吸い込まれてしまう現象が頻繁に出現したもよう…。
この現象を『紙が風邪を引いた』というような言い方で表現します。
(3ダースはこの呼び方が大嫌いなのですが、昔からそう呼ばれていて…他に呼び名も無さそうなので、本当に仕方なくその呼び名を使ってます)
絵具が紙の奥に染み込むということは…顔料自体も紙の内部に沈み込むわけで、絵具の発色は極端に悪くなります。
つまり、理想的な画用紙や水彩紙は…塗った水彩絵具がすぐには内部に染み込まず、なるべく表面に “顔料” をとどめていてくれる紙の方が良いのです。
そうでないとグラデーションやボカシもうまくできませんよね?
画用紙や水彩紙に限らず…ほとんどの紙には、抄紙段階で滲み止めの処理がなされています。
“寸法” という意味のサイズとまったく同じ表記 (size) なので、とても紛らわしいですが…
ですので滲み止めの方は『サイズ剤 (滲み止めのための薬品) 』・『内添サイズ (原材料の中に混ぜ込む滲み止め) 』・『表面サイズ (抄紙中または抄紙後に、紙の表面に施す滲み止め) 』・『サイジング (滲み止めをする…という行為) 』・『サイズプレス (抄紙機の中の、表面サイズを施す工程) 』というように、 “サイズ” 単独で使わないように気を付けたいものです。
紙の滲み止めのシステムはだいたい2段階。
“内添サイズ” と “表面サイズ” 。
内添サイズとは、
滲み止め効果や撥水性のある薬品を…紙の原材料にあらかじめ混ぜ込むものです。
紙の主原料であるセルロースの分子は、とても水に馴染みやすい (親水性が強い) 構造です。
ですから滲み止めの処置をしていないと、紙が水に濡れた時に際限なく水を吸い込んでしまいます。ですので、セルロース分子の…水とくっつく “手” の部分にあらかじめ別な物質をくっつけてしまうとか、撥水性のある薬品をセルロース分子の間に散りばめておくとか、そういう目的で原材料の中に一定量の薬品を混ぜておきます。
抄紙工程の中で、薬品は紙の内部にまんべんなく散らばり…滲み止めの効果を発揮します。
表面サイズとは、
主に “糊” のような物を紙の表面に薄く塗り、水が染み込みにくくなるような “コーティング” をする処置です。
植物性のスターチ (でんぷん) や、動物性のゼラチン (ニカワ) や合成糊 (CMCなど) のようなものが使われます。
日本画で使うドーサ (薄いニカワ液にミョウバンなどを添加したもの) と同じようなイメージですね。
BBケントの不良品では、この『表面サイズ』の効きが極端に低下してしまうんだとか。
原因として挙げられているのが、日本の多湿な環境。
湿度が高いと表面サイズが融けて紙の内部にもぐり込む…と、解説されています。
日本って…イギリスと比べてものすごく湿度が高いのかなぁ?
そんなに環境が違うのかなぁ?
勝手な推測
ここからは3ダースの勝手な推測ですが、BBケントは…内添サイズと表面サイズのバランスが取れていなかったのか、内添サイズと表面サイズの相性が悪かったんじゃないでしょうか?
単に日本の湿度だけが原因だと思えないんですよね。
(ネット上でBBケントの風邪引きを語っているほとんどのヒトは…日本の湿気だけを悪者にし、『紙をビニール袋に密閉しろ!』とか言ってますが、絶対に湿気単独の原因ではないはず…って3ダースは思ってます)
もしも内添サイズが効いていなければ、表面に塗られたコーティング自体が紙の内部にもぐり込んじゃうわけですし…。
おそらく内添サイズの薬品を変更したのか、抄紙レシピをいじったのか…何らかのバランスが狂って内添サイズの効きが落ちていたのでは?
それで、いつも通りの表面サイズを施しても…肝心のコーティングが表面にとどまっていてくれなかったのでは?
3ダースはそう考えています。
特にボタニカルアートを描く人達は…一つの作品を描く間に何度も何度も水張りをやり直しますから、紙は溺れたようになり…コーティングも散り散りになってしまったのでは?
M社も、廃盤の数年前には手のひらを返すように『BBケントはデッサンとかペン画専用の紙です。この紙に水彩絵具を使うことは勧めていません。水彩画には使わないでほしいです!』って電話で言ってました。
これは “風邪引きの不良品ありき” の、予防線を張った対応ですよね。
昔のM社カタログには『植物画など、細部を正確に描く場合に最適』って書いてあったのに…
こういうわけで、BBケントは廃盤になり、現在は入手できません。
【第14回終わり】
意味わかります?